インドマニプール州のウクルル(Ukhrul)地方のたった一つの村でのみつくられている漆黒の陶器"ブラック・ストーン・ポッタリー"をご紹介。
今回はこのブラックストーンポッタリーが作られているウクルルの村まで筆者が実際に足を運び、直接陶器師の方に話を聞いて来た。
実際の制作過程だけではなく、原材料の採掘現場にも案内してもらった。実に大変な場所だった。
今回の旅で見聞きしたことを筆者なりにまとめて記事にしてみる。
ここに辿り着くまでのお話はこちら↓
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”黒い宝石”が生まれる村へ ウクルル(Ukhrul)のさらに奥地を目指す旅
今回は前回訪問したウクルル地区のさらにその先まで向かう。ウクルル地区は、昔から変わらないこの地の大自然の中バイクを走らせることができるとっても魅力的な場所。
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焼き物には一切興味がなかった筆者がマニプールに来て一目で魅了されたこのブラックポッタリー。
日本ではもちろん、まだネットでもほとんど見つからない未だ隠れたマニプールの特産品。
ブラックストーン・ポッタリーとは
そもそもブラックストーン・ポッタリー(Black Stone Pottary)とは、その特徴が、、、
- ウクルルのロンピビレッジでのみ作られている素焼きの陶器
- 材料は全て天然素材のみ使用
- ウクルルのこの地でしか採れないと言われる土を使用
- 釉薬を使わない艶のある漆黒
- 別名”ロンピポッタリー”
素焼きのため製品には微小な気孔がある。
そのおかげで果物などをこの容器の中に入れておくと、鮮度を長く保つことができるとのこと。
最近ではインパールの到着ゲートにも展示されるようになった、こんな感じ↓
マニプールに訪れる人みんながこれを目にする。
マニプールではもちろん、日本以外では輸入してオンラインで販売している国もある。
各国で隠れた人気があるらしい、筆者もそのうちの一人。
マグカップ以外にも、インテリアの置物なども作られていて過去のTwitterでもちょくちょく話題になっていた。
RT マニプール州の「ブラックポッタリー陶磁器」、鬼映えするので愛用してる〜 pic.twitter.com/vmUP7Tk5TT
— うらべあづき (@urabeazuki) March 1, 2023
この陶器インパールでも売られているが、ローカルでさえ詳しいことを知っている人が少ない。
その多くが謎に満ちた陶器。
それで今回は”ちょいと”バイクを9時間ほど走らせ、実際にウクルル地区のこの村に単身で訪問してみたという経緯。
ブラックストーン・ポッタリーの作り方
こちらのブラックストーンポッタリーは材料の採集から完成まで全て手作業で作られている。
主な工程はこんな感じ、、、
- 材料の採集
- 粉砕・調合
- 成形
- 焼成
- 仕上げ
材料の採集
材料は全て天然素材を使用。
ウクルル地区の一部の山でしか取れないと言われている土を山から手作業で採掘、運搬する。
粉砕・調合
土に加える石を写真のようなすり鉢を使って粉砕。
成形
村の職人たちがオーダーに合わせて成形してゆく。
マグカップ、お皿、ポット、鍋、花瓶、ウォーターサーバーなどの他にもインテリアの置物などを制作している職人も多い。
表面に艶が出るのは釉薬を塗っているのではなく、石で丁寧に磨いて艶を出している。
化学薬品は一切使わず人間の手で磨くことで口当たりが良く魅力的な風合いが出る。
焼成
成形したものを乾燥させて、一晩かけて焼成する。
黄土色だった陶器は燻されて一晩で美しい漆黒に変わる。
仕上げ
焼き上がったものを木の葉で磨きながら熱を取る。
そうすることでより艶のある表面になるらしい。
焼き上がったばかりの鍋。
マグカップなどには、持ち手の部分に”リー”という植物の皮を細く切ったものを巻いてゆく。
完成までの工程は大体こんな感じ。
ロンピビレッジで職人探し
ここからは村到着して職人さんを探すところからの話。
ここまでの流れを知りたい方はこの記事をどうぞ↓
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”黒い宝石”が生まれる村へ ウクルル(Ukhrul)のさらに奥地を目指す旅
今回は前回訪問したウクルル地区のさらにその先まで向かう。ウクルル地区は、昔から変わらないこの地の大自然の中バイクを走らせることができるとっても魅力的な場所。
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ソミ爺に出会う
村に着いたはいいけれど、なんの手がかりもないので近くで休憩していた男性にブラックポッタリーについて聞いてみた。
事前にウクルルの街で聞いていた情報を伝える。
正直に言うと田舎の村で自分が日本人であることがあまり明かしたくない。
村は小さく、村中に広がればややこしいことにもなるかもしれないし。。
それでも今回は聞くしかない、その男性にポッタリーの写真を見せると無言で誰かに電話し始めた。
そしてただついてくるように言われた。
行った先で谷の方から上がってきたのは60代くらいのアンクル。ソミ爺。
どうやら彼がポッタリーの職人らしい。
外国の知らない辺境の土地まで来て手探りで探していたが、助けてもらったおかげであっさり見つかった。ありがとう!
一緒について行くと自宅兼工房に案内してくれた。
まさに今ポッタリーを作っていた最中だった。
作った製品の多くは隣のナガランドで毎年行われるホーンビルフェスティバルという祭りで販売するらしい。
自宅に置いてあったご自身の作品をいくつか格安で売ってくれた。
ソミ爺の作品はシンプルなデザインで軽い、ざっくりとした作りで淡い艶があるので優しい風合いが特徴。
作業をしてもらいながら色々と話を聞いていた、、、、
ブラックポッタリーを作れる人は多いが、実際に生業にしている人はこの村に数人しかいないらしい。
自分の弟子がいて、今は彼がこのブラックポッタリーの”顔”つまり第一人者とのこと。
大自然の山々の中、のどかな環境で黙々と仕事をしているソミ爺。
たまに近所の小さな子供が家に遊びに来る。
彼ら子供たちの相手をするのも楽しそうだ。
自分の子供たちは皆成人して村を出て行ったらしい、妻も数年前に病気で亡くなって以来一人で暮らしている。
ソミ爺と話した後、師匠と呼ばれていた人の工房に行ってみることにした。
ブラックポッタリーの師匠ササ爺に会う
バイクでしばらく走ると人里離れたところに大きな建物があった。
先ほどソミ爺に教えてもらった、ササ爺と呼ばれるブラックポッタリーの先駆者の工房。
筆者がついた時にはちょうどササ爺は外で日向ぼっこをしていた。
突然の日本人の訪問だったが快く迎えて下さり、作業場や工房の中を見せてくれた。
工房の中にはササ爺の作品が所狭しと並んでいる。
ブラックポッタリーについて熱心に話してくださる姿は到底80代とは思えないくらいエネルギーに満ちておられた。
マニプールの男性の平均寿命からするとかなり長寿のササ爺。
インドではかなり有名な人らしく工房の中にはこれまで受賞した賞状や政治家などと一緒に移った写真が飾られている。
今ブラックポッタリーを作っている職人はみんな自分の教え子から広がっているとのこと。
ササ爺手作りの製品も購入させていただいた。
素敵な作品がたくさんあって大きな鍋も買いたかったが、その都度バイクで来ていることを思い出して諦める、、、
遠くからよく来てくれたと、別れ際にササ爺はおまけもつけてくれた。
ありがとうございます。。。優しい。。。
ホミ兄に出会う
すでにポッタリーでずっしり重くなったバイクを走らせ、今度はソミ爺の弟子のところに向かう。名前はホミ。
実は先回ウクルルの街で聞いた話はこのホミ兄の事だった。
彼の兄はウクルルに住んでいて連絡先を聞いていたので、兄経由でこちらの訪問の予定を伝えていた。
この日のホームステイ先は彼の家のすぐ近くだった。
彼も自宅の隣に自分の工房を持っていて、すでに教子が何人かいるらしい。写真の彼はその一人。
初めての日本人だが温かく迎えてくれた。
家の中にも自分の作品が並んでいる。
彼の作品はデザイン性が高い。遠くからでも映えるデザイン。
丁寧に仕上げてあるので艶のある漆黒、重みもある。
訪問した時はストックがあまりなかったので、彼のマグカップをいくつか買ってこの日は終わり。
アセム爺に出会う
このロンピビレッジでの滞在2日目にたまたま出会ったポッタリーの職人。
ソミ爺より少し若いくらいの男性。
2日目の夕方少し時間があったので村の中を散策していた時にたまたまこの人の工房を見つけた。
自分の工房を持って制作している職人は村の中でも数少ないので、これはすごい確率。
中に入るとなんとも雰囲気のある釜戸に火がついていた。
上にはブラックポッタリーの鍋で料理が作られている最中だった。
鎮座する黒いポッタリーが落ち着いた部屋の雰囲気に溶け込んでいる。
ポッタリーの鍋で炊くことで料理に均等に熱が入りより美味しくなるとのこと。さらに冷めにくい。
アセム爺の作品は多くの日本人の好むデザイン。
薄く軽いし繊細な製品が多い。インドの山奥に住むこのアセム爺がなぜこんな繊細で日本人ウケするデザインを心得ているのかは謎。
気に入ったいくつかのマグカップを買わせてもらった。もうバックが限界、、、
ポッタリーの採掘現場へ
お次はブラックポッタリーの材料となる土の採掘現場まで行ってきた話。
ホームステイ先の世話役の人が「作る工程全てを知らずにこのポッタリーは語れない。」と言って連れて行ってくれることになった。
予定外ではあったもののありがたい話。自分では到底いけない場所に連れて行ってくれる。
ホームステイの家での朝
この日は外の女性達の話し声で目が覚めた。
ロンピ村の朝は早い。明るくなってくると女性達はすぐに家事を始める。
標高の高いこの村では朝方霧がよく出るらしい。
朝は野良犬も大人しい。
ホームステイの家の周りをうろついたり、人間が食事の支度をする時に出る食べ物の残りを待っていたりと気まま。
昨晩にはホミ兄のお父さんが夜にホームステイに来てくれた。
日本人が慣れない場所できちんとご飯が食べれているか心配してきてくれたらしい。本当に優しい方だった。
”ビジョナー”という立場の方で、村の人に非常に敬われている長老らしい。
ちなみに今回利用したホームステイの家はこちら。
建てられたばかりらしく中もいい木の匂いがする。確か1泊1000ルピー(約1800円)。
ホームステイとしては少し安い。キッチンにあるガスコンロ、炊飯器、スパイス類、オーナーの家で採れたのであろう野菜も少々。
全部使っていいと言ってくれた。
おじさん達と語らう
筆者もゆっくり朝ごはんの準備を始める、すると近所のおじさんたちが私の様子を見に(観察しに)立て続けにやってきてくれる。
昨日ホームステイ先に到着してから、私が家にいるとずっとこんな感じ。
しかも玄関を開けていることもあって、何も聞かずそのままキッチンまで入ってきて下さる。
おじさん3人くらいが入れ替わり立ち替わり、マニプリ語と英語を混ぜて色々聞いてきてくれる。
もちろん彼らに悪気はない、単なる文化の違い、こちらも笑顔で挨拶し歓迎。
(↑”アッチャー”はマニプールのおじさんたちによくあるリアクション。日本人の「え〜何それ〜」と言う感じ)
地元の人たちは初めて会った日本人がどんな朝食を食べるのか興味津々。おじさん達みんなが筆者の朝食を聞いてくる。
ちなみになぜおじさんのリアクションがアッチャーなのかというと、マニプールの人たち言うメシ(ご飯)とは主に米飯を食べることを指している。
つまりお米を食べない食事を彼らはメシとは考えていないらしい。
”日本人は米(chak)を食べない”と誤解されそうだったのでそこは訂正させていただいた。
意外な訪問客
おじさん達が去った後、朝ご飯がもう時期できると言う時、、、また玄関の方で気配が、、、、
行ってみると昨日からこの家の周りをうろうろしている犬が一匹。警戒しているのかそろりそろり玄関から入って来ていた。
そしてこちらと目があってしまい、そこで一言、、、、、「ワンッ!」
この時ばかりは筆者にも犬語がはっきり理解できた。明らかに「誰だお前は!」と聞いていた。
好奇心でおじさんばかりか近くの犬も様子を見に来てくれる。
同じ時間を過ごしているとは思えないほど日本と全く異なる世界。州都インパールでも見ることはできない彼らの日常。
別の世界から来たかのような筆者は、彼らのその”日常”の中に少し身くと言う貴重な経験をさせていただいた。
採掘現場へ出発
ホームステイの朝に色々あったけどようやく採掘現場に向けて出発。
この写真は最初の入り口、まだ道が広い。
世話役の人は本当にお世話をしてくれる。
日本人が泊まりに来ると聞いてウクルルの街からわざわざ村にまで戻って来てくれたらしい。
今日行こうとしている現場までの道は険しいらしく、地元である彼の案内で現場に向かう。
まずはバイクで一緒に入口近くまで、彼曰く採掘現場までバイクで行けると言う話だったが、、、、
どう考えても無理、、、、バイクにはタイヤじゃなくてキャタピラがついているとでも思っているのだろうか、、私のバイクはオフロードバイクですらない。
傾斜のきつい下り坂、崩れやすい山肌、砂利道なのでブレーキも効かない。
そんな獣道のような所をバイク2人乗りで行こうとしていた。
もちろんガードレールなんてない。少しハンドル操作を間違えればそのまま谷底まで真っ逆さまに落ちてゆく。
「ここで死んだら一生見つからないだろうな〜。”ここで日本人が亡くなった”って代々村で語り注がれていくのかな〜」
などと現実逃避がてら考えていた筆者。結局途中でバイクを降りて歩いて向かうことに。
下の写真の手前に写っているのが筆者たちがバイクで降りようとしていた道。
採掘現場に到着
歩き続けること30分ほどようやく採掘現場が見えてきた。バイクでの下山を試みたこともあって筆者はすでに疲労している。
小さな小屋があって、そのすぐ下にある大きな穴の中で3人ほどが採掘作業をしていた。
若い男性一人と、50代くらいの夫婦一組。
鍬やつるはしを使って土を掘り起こし、赤色の土だけを集めている。
女性も男性とほとんど同じ仕事をしている。
ブラックストーンポッタリーは材料の採集から運搬なども全て手作業。
案内してくれた彼がタンクール語で話している。
地元で長く暮らしている中高年の人たちの多くはタンクール語しか話さない。
マニプリ語も英語もそれなりに話せるはずだけど、あまり自信がないのか、日本人の英語やマニプリ語が理解できないのか、はたまたシャイなのか、話す時も口数は少ない。
この山では数年前に地滑りが起きて採掘作業をしていた2人ほどが亡くなったと聞いた。
雨季には危険なので作業ができない。
採掘作業ができるのは1年のうちごく限られたタイミングだけらしい。
彼らは過酷な環境の中、この仕事で生計を立てている。
集めた赤い土を土嚢袋に詰めて山の上の村にまで運ぶのも彼らの仕事。
筆者が先ほど降りてきた急な坂道を、重さ20〜30キロほどの袋を背に担いで運んでいく。
途中から車で運ぶこともあるらしいが、雨が降ると車は入れなくなる。
最近では採掘を仕事にする人も少なくなってきたらしい。
そのまま降りて谷底の川へ
降りてきた道は、採掘現場からさらに谷底まで続いている。
案内人の彼と一緒に降りてみることにした。
山焼きされた後のせいではっきりわからなかったが、背の低い木が綺麗に並んで生えている。
その間に人一人がかろうじて通れるくらいの細い道が続いていた。
案内人の彼はさっさと先を歩いて行ってしまう。
途中傾斜のきつい場所は山登りのように手を使って降りた。
そこにあったのがこの変わった形の大きな石。
案内人の彼曰く、かつて王族の女性がこの場所で命を落としたらしい。
ここに置かれた石はその記念碑で、その石の形が女性の姿をしていると言っていた。
地元の人が危険だと言う理由がわかる。
特に雨の日には決して行かないようにと忠告されていたのに、、、、
この後土砂降りになることをこの時は二人とも梅雨知らず、、、
谷底の川には綺麗な水が流れていた。
案内人の彼はここまで歩いてきて汗ばんだ顔を洗っていた。
近くにまた小さな小屋があった。
そのそばでは畑を耕す30代?の夫婦と、1歳か2歳くらいの小さい子供が一人、畑の真ん中に座って母親の近くで作業を”手伝っている”。
川の近くで畑を作ると水やりが楽になる反面、大雨が降ると川が氾濫して畑が飲み込まれることもあるらしい。
突然訪問した私たち二人だったが、彼らは持っていた大切な飲み水を温めて飲ませてくれた。
もちろんローカルの案内人の彼が同行してくれたことも大きいが、それでも村の人たちは外国人の私にも優しく接してくれる。
しばらく彼らと話しながらのんびり小屋で休憩していた時、、、、、、遠くから雷の音が、、、
まさかとは思ったが、そんな気を揉む時間もなく待ったなしで激しい雨が降ってきた。
まさかの谷底で雨に降られて足止めされるなんて。ウクルル地方の山の天気も非常に変わりやすい。
雨が降り続ければ帰れないどころか地滑りの危険もでてくる。しかもここは谷底、、、流石に案内人の彼も心配している。
畑を耕していた彼らも小屋で雨宿りするしかない、小屋の薄いトタン屋根に雨が激しく打ち付ける音がする。
山奥のせいでインターネットに繋がらず天気予報が見れない、というか見れてもあまり当てにならないけど、、、
どうしようかしばらくみんな心配していた時、途端に雨が止んで静かになった。
このタイミングを逃さず急いで村に帰る。
インドの山の土は非常に細かく、雨に濡れると泥になって非常に滑りやすくなる。しかも急な登り坂。
息を切らしながら登り続けなんとか無事に村まで帰ってきた。やっぱり知らない土地で旅すると色々起こる。
村に着く頃には雨が止んで雲間から陽の光が再び差すようになっていた。
ブラックストーン・ポッタリー まとめ
ロンピビレッジで会ったブラックストーンポッタリーの職人たち。
職人によってデザインも大きく変わる。
しかも使用している材料は全て天然素材、かつ全ての工程が手作業で作られている。
作品1つ1つに個性があって、使い込んでいくうちに愛着が湧いてくる。
そしてその一つ一つに今回出会った職人たちの思いが込められている。
さらに今回は地元の人たちのおかげでブラックストーンポッタリーの材料の採掘現場に行って実際の作業を見させてもらった。
本当に全て人力、便利な重機などは使っていない。
そんな彼らの流した汗のおかげでこの美しいブラックポッタリーができていると思うとさらに魅力的に思えた。